「農家の町医者」として14年。
数字と家族会議で、農家の物語に寄り添う

大企業のトップ営業マンとして、稼いでいた。そして、天狗になっていた。
「自分以外の人は、売上達成のための手段だと思っていた」
本田茂さんは、かつてをそう振り返る。
その本田さんが今、宮城・山形の農家に寄り添い、毎月の家族会議の司会を14年間続けている。「農家の町医者」を名乗り、数字を用いて家族の物語を紡ぐ。稼げる営業マンだった彼は、なぜ「聴く」専門家になったのか。
PROFILE
本田 茂さん
中小企業診断士。全国規模の農業団体で青果市場の営業を経験した後、40歳で独立。現在は青果市場の営業社員研修と、農家への財務支援・家族ミーティング支援に専門特化。宮城・山形を中心に、「農家の町医者」として14年間、農家の経営と家族の対話に寄り添っている。
トップ営業マンが、大阪で「天狗の鼻」を折られた
-早速ですが、今のお仕事の内容から教えてください。
現状は、青果市場と農家さん、この二業種に専門特化しています。青果市場では営業社員研修が中心で、農家さんに対しては二つのことをやっています。一つは数字を見えるようにすること。もう一つは、家族ミーティングの司会進行を毎月すること。この二つを、気づけば14年間ひたすら続けています。
-14年間!?すごいですね。
診断士を目指す前は、どんなキャリアを歩まれていたんですか。
もともと医学部志望だったんですが挫折して、農学部に進みました。卒業後は全国規模の農業団体に入って、市場の現場部署に配属されたんです。20代、30代はもう、休みのない職場でした。朝4時半から夜8時まで、土日も仕事。365日、本当に会社に行っているような状態で、心身ともに限界に近かったです。
それでも営業成績は良くて、結構稼いでいたんです。学生時代の医学部断念や、職場での困難を乗り越えて、トップ営業になって、自信や誇りも芽生えてきました。すると、年次を重ねるごとに、知らず知らずのうちに天狗になっていました。30代で大阪転勤を言い渡され、自信たっぷりで挑んだのですが、そこで関西商人にボロボロにやられて、伸び切った天狗の鼻を完全にヘシ折られました。本当によい勉強をさせてもらいました。
「中小企業の町医者」という言葉との出会い
-診断士の資格を知ったのは、その大阪時代ですか。
落ち込んでいた時に、本屋で中小企業診断士の資格本を手に取ったんです。そこに「中小企業の町医者」という別名が書いてあって。35歳の時に、ハッとしました。医学部への進学はかないませんでしたが、「農家さんの町医者だったら、自分もなれるかもしれない」と。それで平日夜、会社帰りに大手資格予備校に通う日々を始めました。簿記のぼの字も知らない営業マンだったんですけどね。
-勉強を通じて、どんな気づきがありましたか?
事例問題を解いていると、毎回、悪い親会社が出てくるじゃないですか。中小企業に無理を言う親会社や取引先が。あれを解いているうちに気づいてしまったんです。「これって、まさに自分そのものじゃないか」と。
私は大きな組織にいて、気づけば立場が低い、八百屋さんや配送会社の人、地方の小さな市場、そして農家さんを、自分の売上数字を上げるための手段くらいにしか見ていなかった。最低な人間だったんです。たまたま大きな組織の大きな看板があったから商売できていただけなのに、勘違いしていた。それにハッと気づいて、仕事も家庭生活も全てで姿勢を改めました。すると、面白いことに大阪での営業成績が上がっていったんですよ。
40歳、退職金を捨てて、縁もゆかりもない土地へ
-独立を決意したのは、どんな経緯だったんですか。
社内で農業経営の部署を作ってほしいと提案したりもしたんですが、少し早すぎたのか実現しなくて。結局、自分で独立することにしました。40歳の時です。大きな会社にいて、子どもも3人。40歳を過ぎたら退職金もついてくる。
それでも「どうせ後悔するなら、やめて後悔しよう。あの時やりたいことをやればよかったと思うよりはいい」と、踏ん切りをつけました。
-移住先の宮城は、地元でもゆかりのある土地でもなかったそうですね。
まったくゆかりはなかったです。農業なので地方に行きたくて、私は北海道や岩手の辺境に住みたかったんですが、娘が3人いたので、家内から「せめて地方都市にしてくれ」と。それで、都市もあれば田舎もある仙台を選びました。移住先を決めた後に震災が起きて、独立したのはその後です。ちょうど今15年目になります。
-地盤を整えてからの独立だったんですか?
いや、地盤なんて作れないまま飛び出しました。むしろ辞めてから気づいたんです。前職の看板がなくなったら、自分は何もできないんだと。販売支援といっても、取引先のバイヤーに電話したら「あんた、やめたんだよね、取引口座どうするの、無理だよ」という話ですから。かなり無鉄砲でした。
「あなたは、聞いてあげればいい」——妻の一言
-3人のお子さんを抱えての独立、プレッシャーも大きかったのでは。
退職金は2、3年でなくなりました。毎日通帳を見ながら、入金と出金で綱渡りするような日々でした。
ただ、そのしんどい時に、家内がプレッシャーを一切かけてこなかったんです。ある日理由を聞くとこう答えてくれました。「あなたは今のままやってれば大丈夫。ちゃんと農家さんの話を聞いて寄り添っているから、きっとお客さんがついていく。私は不安じゃない」と言ってくれて。
-その言葉が、転機になったんですね。
独立当初は「あれもできます、これもできます」と、結構無理をしていたんです。
でも家内のその一言で、「あ、聞いてあげればいいんだ」と思えた。上からにならないように、とにかく農家さんに寄り添って聞いてあげる。そのスタンスに変えてから、毎年1件ずつ、コツコツとお客さんが増えていきました。
-身近な家族の一言は、大きな勇気を与えてくれますね。
そうですね。自分の強みは、戦略を披露することじゃなくていいんだと思えた時に、気が楽になりました。
独立当初は、自分の足りないところばかりを補おうとして無理していたので、家内に言われてハッとしましたね。自分の弱みばかり気にして、まさに強み分析を、人にはやれと言っているくせに、自分ではできていなかった。
キャッシュフローから、家族の物語が浮かび上がる
-農家さんへのお金の支援は、具体的にどんなことをされているんですか。
農業は投資から回収までの期間が長いんです。まさに診断士の勉強でやったキャッシュフロー計算書の世界ですね。過去のキャッシュフローを作って解説し、面談しながら3年先のキャッシュフローを一緒に作っていきます。
農家さんは返済も多いし、意外と家計費も多い。キャッシュフローを作ると事業主貸しの額が出てくるので、家族構成を見ながら家計にも突っ込んでいくんです。すると、経営はうまくいっているのに家計がおかしかったり、真面目だから返済を焦って期間を短くしすぎていたり、男性陣が投資ばかりして女性が不安になっていたり……。キャッシュフローを作りながら、家族の物語が浮かび上がってくるんですよ。
-もう一つの柱、家族会議ではどんな会話が生まれるんですか。
数字を説明しながら、現場での苦労と紐づけていくんです。親子で農業をやっていると、近すぎて普段しゃべらないことが多い。それをこの場で話して、すっきりしてもらう。「3年前に投資して品種改良を頑張ったことが、ようやく今、数字に出てきたね」といったタイムラグを数字で共有していくと、こちらが「良くしよう」と言わなくても、勝手に皆さんでまとまってくれるんです。
最近は三世帯そろった場で、経営の数字を中学生の孫に説明したりもします。すると、いつも親子喧嘩が始まるのに、孫がいると喧嘩にならない。孫も「お父さんたち、こんなに売り上げてるんだ、すごい」と子ども心に思うみたいで。継ぐ継がないは決めなくていいけれど、知っておいてほしい。そう思って始めたら、毎回子どもを連れてくるようになった農家さんもいます。
「専門があるほど、上から目線になってしまう」
-青果市場の支援は、もともとご自身の得意分野だったんですよね。
青果物の営業は本当に得意で、ライバルより先に動いたり、差別化して選ばれる商品作りをしたり、そういうのが好きで得意だったんです。でも独立して研修でそれを教えると、「自分がやってたんだからやりなよ」というオーラが出てしまう。どうしても上からになっちゃうんですね。
だから、私の専門分野である青果市場の方が、むしろ上から目線になって毎回反省しています。専門性がある方が、今は苦しんでいるのかもしれません。逆に、農家さんの財務支援は会計を全然知らないところから始めたので、専門じゃないぶん上からにならず、聴くに徹することができた。専門がないところをやっていたのが、かえって良かったのかもしれません。
農家さんが本田さんを選ぶ理由
-農家さんは、どんなところで本田さんを選んでいるんでしょう。
ちょうどホームページのリニューアルでお客様の声を集めたら、みんな同じことを書いていました。「話をよく聴いてくれる」「偉そうじゃない」と。むしろ「できなさそう」なのが良かったのかもしれません(笑)。あとは「寄り添ってくれる」という言葉が多いですね。
ある農家さんは、こう書いてくれました。「月一のミーティングで数字の進捗や、休める農業、女性が働きやすい環境づくりを話し合い、我が家の経営はどんどん進化した。建設的に進み、親子の関係も改善した。人情味あふれる先生の人柄に、精神的にも救われてきた」と。ソフトの部分ばかりで、恥ずかしいんですけどね。
-発問、質問の面で意識されていることはありますか。
できたこと、数字が良かったことに対して「なぜできたのか」という質問は、しつこいくらいやります。逆に数字が悪い時は、さらっと確認するだけ。昔はそこを掘っちゃったんですが、数字で人を傷つけることもあるので、今はあまり掘らない。いいことは徹底的に掘って、再現性を上げる。そうすると、家族のミーティングが少し楽しいものになるんです。
70歳になっても、若い農家に必要とされる存在で
-今後5年、10年のビジョンはありますか。
正直、かっこいいビジョンが今はないんです。昔は「後継者を作りたい」「本を出したい」「農家支援を広めたい」と言っていたんですが、それが本当の自分の気持ちなのか、毎年悩んでいて。
ただ、最近は自分より年下の農家さんの相談も増えてきました。70代になっても、お医者さんとして自分の経験から重みのある助言ができる、そういう活動はしていたいなと。あとは、もう一冊、農業経営の本を書きたいという気持ちはずっと持っています。
-70歳で30代の若手農家を支援できる、老害と言われずに必要とされる——それはすごく大変で、偉大なチャレンジだと思います。
そう言っていただけると、気持ちが軽くなりました。私も森さんのように、人の気持ちを軽くしてあげられるよう、もっと自分を磨きたいですね。
編集後記
「聴く」「寄り添う」「上からにならない」
本田さんのインタビューで何度も出てきたのは、「聴く」「寄り添う」「上からにならない」という言葉だった。
かつて大企業のトップ営業マンとして「自分以外は手段」とまで言い切っていた人が、その傲慢さに気づき、まったく逆の道を歩んできた。しかも興味深いのは、得意な青果市場の支援ではつい上から目線になり、未経験だった農家の財務支援でこそ「聴くに徹する」ことができたという逆説だ。
キャッシュフロー計算書から家族の物語を読み取り、数字を通じて親子の対話を生み出す。本田さんの14年は、「専門知識を教える」ことではなく、「その人自身に関心を向け続ける」ことの力を静かに証明している。
経営伴走支援スキルを身につけたい方へ
本田さんが大切にしている「上からにならず、聴くに徹する」という姿勢。数字という事実を見せながら、答えを押しつけるのではなく、家族が自分たちで気づき、まとまっていく場をつくる——これこそが、経営伴走支援の核心です。
専門知識を持っていることと、経営者に頼られることは、必ずしもイコールではありません。むしろ、相手に関心を向け、寄り添う「あり方」こそが、長く選ばれ続ける専門家をつくります。
経営伴走トレーニングジムでは、本田さんのような「経営者に寄り添い、気づきを引き出す診断士」になるための実践スキルを、9回以上の講義と10回以上のロールプレイで身につけていただけます。
「専門知識はあるのに、経営者にうまく伝わらない」「何を強みにすればいいかわからない」という方こそ、ぜひ一度、無料セミナーに参加してみてください。
取材・文:実践クオリティシステムズ株式会社 ※本記事は本人の確認を経て掲載しています。一部、固有名詞等はぼかして掲載しています。